東京電力福島第一原子力発電所1号機の炉心を冷やす海水の注入が、東日本大震災の発生翌日に一時中断していたとされる問題で、東電は26日、「実際には海水注入は継続していた」と発表した。
同原発の吉田昌郎所長が、事態の悪化を防ぐため必要と判断し、東電本店の意向に反して独断で継続したという。この問題をめぐっては、政府・東電統合対策室が中断の根拠として示した班目春樹・内閣府原子力安全委員長の発言内容が訂正されたばかり。政府・東電の情報発信のあり方が改めて問われそうだ。
統合対策室は21日、海水注入中断の経緯を公表。その中で、東電は3月12日午後7時4分に海水の試験注入を始めた後、原子炉の再臨界を懸念した官邸の意向に配慮し、7時25分に独断で注入を中断。その後、首相の指示を受け、8時20分に再開し、55分間の中断が起きていたとしていた。しかし、実際には、官邸詰の東電社員から「首相の了解が得られていない」との連絡を受け、東電は東電本店と第一原発を結んだテレビ会議で中断を決定。吉田所長は、この場で反論はしなかったが、独断で注水を継続した。
海水注入、実は原発・吉田所長が独断で継続 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
マネジメントがどんなにバカで無能でも、現場がそれを補い責任を持ってやり遂げる。まさにニッポンの強さの真骨頂だね。
しかしなあ、政府も東電経営側もあまりに無能が揃い踏み過ぎ。こういう巨大事故でも現場に責任丸投げだしな。日本には上にいる無能者を排除する仕組みが少ないから、その分逆に現場が鍛えられてきたという、ビジネス上の進化論的環境があったのだろうな。つまり、マネジメントの無能さと現場の有能さの関係には補完性があると。マネジメントがどんどん無能になっていけば、現場はどんどん有能になっていくし、逆に現場がどんどん有能になっていけば、マネジメントはやはりどんどん無能になっていくと。
でもなあ、漸次的に変わっていく世の中ならそういう意思決定のあり方もアリだけれど、経営環境や政治環境が短いタイムスパンで変わっていくここ20年くらいの「グローバル社会」では、もう無理だよな。
ミルグロム/ロバーツの「組織の経済学」には、こういう補完性のある組織が持つべき全体的な戦略は、上級経営者が中央集権的に組織をコーディネーションし、組織の設計変数をイノベーション的属性も含んだ形で意思決定する、というまさに教科書風の解答があるけれど、その補完性が上級経営者自身に存在する場合は想定されていないからな。
過去を見れば、明治維新のように外人教師を招聘したり、戦後復興のように欧米の技術をパクッたりと、先行者のマネで凌げたけれど、今はそれは無理だし。つまりTyler Cowenが”The Great Stagnation”でいう”Low-hanging fruit”は日本にとってももう存在しないのだ。
うーん、あまりに苦し過ぎるね。
(via kashino)
(via bo-rude)
9 months ago • 42 notes